2011年7月22日金曜日

子ども夏まつり in たこ公園を今度の日曜24日17時より開催!!

恵比寿・たこ公園にて、地元山下町会と東恵比寿商栄会(ニックネーム たこ公園商店街) 恒例、夏のイベント 子ども夏まつり in たこ公園を開催します。
たこ公園は保育園児や地区の協力で鳥取芝を植えました。心地よい青草の匂い、親水の水辺を新設してのハーフ開園。のこり半分は現在改修中。

開催日時 7月24日・日曜 17時~20時 雨天中止、繰り上げ終了する場合がございます。
会場 恵比寿東公園
内容 昔遊びこまとけん玉(アジアチャンピョン指導)、金魚すくい、宝物さがし、スイカ割り、ジュースと綿菓子、かぶと虫プレゼント、防災紙芝居、プチ花火。すべて無料。かぶと虫は抽選となる予定。

お願い  ①園内に置き場が確保できません又公道は往来の妨げとなりますので自転車でのご来場はご遠慮ください。
 ②ハイヒールは芝生を傷めますのでご理解とご協力をお願いします。


2011年7月21日木曜日

恵比寿・たこ公園の第二章、芝植え始まる

川とまちづくり ~恵比寿・たこ公園の取り組み~

http://www.nhk.or.jp/nhkvnet/report/article19.html  

掲載 リンク期間に制限があるため、

私たち商店街の活動記録をこのブログに保管いたします。

企業ボランティア事例紹介


都会の中の小さな公園を、子どもたちが安全に遊ぶことができ、水や自然と親しめる公園として整備しよう!
近隣の商店街や地元の企業、保育園の子どもたちなど200人が集まって芝生の植え付けを行いました。
タバコや違法駐車などを一掃するために地元の人びとが編み出した思わぬ妙案とは。
童謡『春の小川』のモデルとなったと言われる渋谷川流域が、少しずつ生まれ変わります。
都会の中の公園
写真 5月中旬の水曜日、東京都渋谷区にある恵比寿東公園で、若者から高齢者までたくさんの人が集まって何か作業をしていました。

「何センチ間隔で植えるの?」
「どんどん植えていっていいよ」
「腰いためないようにね」

お話を聞くと、公園整備の一環として、芝生広場を作るために、芝生を植える作業をしているところだということでした。
写真 この恵比寿東公園は、周りをビルで囲まれた、都会の中の小さな公園です。
敷地の真ん中にシンボルとなるたこ形のすべり台があることから、通称“たこ公園”と呼ばれており、子どもたちの遊び場、近隣住民の交流の場として親しまれています。公園近くの商店街にも“たこ公園商店街”という愛称が付いています。
年に数回この公園をメイン会場として行われるフリーマーケットの日には、洋服やアクセサリー、おもちゃなどを売る人たちと並んで、商店街でも焼きそばなどの模擬店を出し、多くのお客さんで賑わいます。
現在たこ公園では、全面的に整備工事が行われています。この公園のすぐ脇を流れる渋谷川の再生事業に伴い、“川と町の一体的まちづくり”として、渋谷区と住民が協力して行っている事業です。
渋谷川の流れる地域は、かつて童謡“春の小川”のモデルにもなったほど豊かな自然が広がる田園でした。しかし近年では川の水量が減って異臭を放つようになり、環境の悪化が懸念されていました。そんな渋谷川が今回、都会の貴重な水辺空間として、再生事業の対象となったのです。
その一環として、たこ公園は、遊び場が少ない都会の中で子どもたちが安全に遊ぶことができ、水や自然と親しめる公園づくりを目指しています。
200人が集まって芝生の植え付け
朝の10時から始まった作業には、近隣の住民や商店、地元企業、保育園の子どもたち、渋谷区の職員などおよそ200人が集まりました。
写真 この日渋谷区から用意されたのは、芝の生産が盛んな鳥取から取り寄せた天然芝で、直径5cmほどの育苗用ポットに入っています。ポットから取り出した芝の苗は20~30cmくらいの間隔で植えていきます。近所の顔見知りの人が多いせいか、皆さん楽しそうに話をしながら作業をしていました。
敷地全体に均等に植えたら、束になっている苗が地面に広がるように足で踏みます。植えたばかりの苗を踏むのに少し躊躇しながらも、リーダーの町会長さんの声かけにあわせて、みんなで言われた通りに踏んでいきます。
写真 芝が地面を覆うほどに育つまでには3・4か月くらいかかるということで、今後は住民たちが協力をして、水やり、肥料散布、芝刈りなど手入れを行っていく予定です。
200人が協力して取り組んだおかげで、芝生の植え付け作業は2時間くらいで終えることができました。
商店街や病院も協力
“たこ公園商店街”の人たちも、お店の仕事の合間を縫って参加していました。

美容室を経営する馬塲成一さんは、
写真
「たこ公園は、自分たちのホームグラウンドですから、今後も公園の活動には参加していくつもりです。
ここは近隣の園児たちもよく来ていますから、芝生があると遊びやすくなります。でも、その一方で、瓶が割れた破片などがあっても気づきにくいので、安全面の管理は大切だと思います」と言います。

“たこ公園商店街”の方々は、月に一度地域のゴミ拾いを行い、町の美化活動にも積極的に取り組んでいます。
写真
恵比寿の眼鏡屋で働く泉谷明日実さん
「芝生ってこうして苗を植えるものだとは知りませんでした」
写真近隣の3つの保育園から参加した園児たち。先生のまねをしながら芝生の苗をちゃんと植えていました

また、公園の近所にある広尾病院からも、事務局長とスタッフの人たちが数名参加していました。
たこ公園から渋谷川沿いを少し東に行ったところにある広尾病院は、川に面した敷地に立体駐車場を建設する計画がありました。しかし、地元に根付いた病院として住民たちの声に応えようと、駐車場は川から少し離れたところに建設し、川沿いに緑を残す計画に変更しました。
“公園”を子どもたちが安心して遊べる“児童遊園”に
写真 たこ公園の整備活動のリーダーを務めているのが、渋谷区新橋地区町会連合会の会長を務める高根沢吉正さんです。75歳という年齢を感じさせないパワーでメガホンを片手に現場を仕切っています。

たこ公園の行政区分は“児童遊園”です。児童遊園とは、児童福祉法によって規定される児童厚生施設で、児童の健全育成のために、安全に遊べる場所を提供する屋外施設をさします。
写真児童遊園について記された、たこ公園入り口の看板 渋谷区内に数ある公園の中で、たこ公園の環境整備が優先的に行われているのは、再生事業が進められている渋谷川に近い場所にあることと、もう一つは、“児童遊園”として認められていることにあります。
「地域の子どもたちが安全に遊べるように、たこ公園を児童遊園にしてほしい」と、6年前に渋谷区に掛け合ったのが高根沢さんでした。児童遊園に指定されると、夜間のいたずらを防げる、周辺の違法駐車を締め出せる、園内の喫煙を禁止できる、などができるようになるのです。
高根沢さんは東京都の福祉保健局に自ら何度も足を運んで、届け出の文書を提出し、晴れてたこ公園は児童遊園になりました。
このことにより、かつて園内に置かれていた灰皿は撤去されました。今後は、公園の敷地を柵で囲い、夜間のいたずらや犬猫の糞害を防いだり、公園前の道路を一方通行にして違法駐車を防ぐなどの工事も行われるそうです。
写真
「福祉局にお願いに行った時は、『児童遊園の申請なんて何年ぶりだろう』と言われましたよ。でも、“児童遊園”として認められれば、子どもたちが安全に遊べる環境を作るために、区役所などにも意見を出しやすくなるんだよね。今日みたいに芝生を植えれば子供たちは裸足で走り回れるようになるでしょう。近くに3つの保育園と私立の幼稚園があるけど、都心だと園に庭がなかったりするから、子どもたちはきっと喜ぶだろうね」
時々、「そこ、早く動いて!」などと大声で仲間に喝を入れる高根沢さんですが、お話を聞くと、自分たちの町を安全で住みよい環境にしたいという思いが伝わってきました。
今後、水撒きや芝刈りなどの芝の手入れは、地元の町会が中心となって行っていく予定です。こうした作業については区の予算は決まっていないため、道具や人の確保などが今後の課題となっています。

以前からあった、公園のシンボルであるたこのすべり台は老朽化していましたが、今年初めにリニューアルされて、新しい“たこ”が設置されました。「“たこ公園”という愛称がある以上、たこは欠かせない」というのが、高根沢さんをはじめとする地元の皆さんの考えだったそうです。
写真撤去された 古いたこのすべり台 写真新しく設置された たこのすべり台
2011年7月19日掲載  取材: text/小保形 photo/福田伸之
たこ公園では、ほかにも住民が提案した「コウホネ池」を作る計画があります。
敷地の一角に池を作り、渋谷川にゆかりのある“コウホネ”というスイレン科の植物を植える予定です。
かつての“春の小川”の情景を思い描けるようなきれいな花を咲かせることができるでしょうか。その様子については次回ご紹介します。

2011年7月4日月曜日

リペアショップ アースさん、被災地の子どもたちにスニーカーを届ける支援報告

http://www.nhk.or.jp/nhkvnet/company/company/article09.html

掲載 リンク期間に制限があるため、

私たち商店街のアースさんの活動記録をこのブログに保管いたします。

企業ボランティア事例紹介

リペアショップ アース

写真 東京都渋谷区、恵比寿駅の近くの商店街に、靴やかばんの修理をする『リペアショップアース』というお店があります。
このお店では、サイズが合わなくなったりして履かなくなったスニーカーをお客さんから引き取り、洗浄して、東日本大震災による被災地の子どもたちに送る支援活動をしています。
宮城県石巻市の小学校を中心に、これまで10か所に2360足もの靴を送り届けました。
スタッフ4名という小さな店舗でありながら、2ヶ月の間にこれだけの数の靴を送ることができたのは、スタッフ全員の思いや努力、そして多くの人の協力がありました。

下駄箱で眠っている靴を被災地に
リペアショップアースが石巻市へ靴の支援をするようになったのは、代表取締役である佐々木隆さんの義理の弟さんが石巻市の小学校で教師をしていることがきっかけでした。 写真
「地震発生から3日後くらいに、やっと弟と連絡が取れて、とりあえず無事だということがわかりました。その後何度か連絡をして状況を聞くと、家族は全員無事、だけど家は流されてしまったということでした」
弟さんとの会話で、今履く靴さえもなくて困っている状態だとわかり、佐々木さんはすぐに自分の靴を弟さんのもとに送りました。
「被災地のために何か支援ができないかと考えた時に、自分は靴の修理屋をやっていて、汚れた靴などでも、ある程度はきれいにすることができます。だから皆さんの家の下駄箱で眠っている靴を提供していただくことができれば、被災地の子供たちにもたくさんの靴が送れるのではないかと思いました。」
たくさんの人の思いとともに集まった2300足
写真
靴を集めるためにまず始めたのは、店頭に手作りのポップを置くことでした。目標としたのは、スニーカーを送る予定の石巻市立湊第二小学校の全校生徒分、230足のスニーカーです。
募集を始めて間もなく、活動を知ったお店のお客さんが、子どもと一緒に靴を持ってきてくれました。恵比寿で子供服の店を経営する石巻出身の方は、知り合いに声をかけて靴を集めてくれました。取引先の靴屋さんは、新品の靴を提供してくれました。
また、このお店がある商店街120店舗のお店も、靴の募集チラシを店の前に貼ったり、地域のPTAに呼びかけたり、靴の送料を負担するなどの協力をしてくれたのです。 写真
東恵比寿商栄会の会長で、青果店を経営する高橋則男さんは、
「自分たちの商店街のお店が支援活動をしていると聞いた時は、本当にうれしかったです。私たちも商売をしているので、作業を手伝うことはなかなかできないけれど、靴を集めることには協力しようと、みんなで呼びかけました。靴を持ってきたお客さんが、“リペアショップアース”さんのお店の場所が分からない時はうちで預かったこともありました。
地域の人にお世話にならなかったら私たちは商売をやっていけませんので、できることがあればやろうよ、ということなんですよね。」
写真
短期間で当初の目標を大きく超えた数の靴が集まり、お店の外には靴の入った段ボールが山積みになりました。
19~23cmくらいの小学生が履けるサイズの靴だけでなく、27~28cmの大きな靴、乳幼児が履く小さな靴、エコバックやリュックサックなども集まりました。
募集をしていたのは小学生のスニーカーでしたが、支援の気持ちを無駄にしないためにも、小学校以外の避難所にも大人用の靴などを送ることにしました。
佐々木さん自身もこれだけ多くの人の協力が得られたことには驚きを感じていたようです。
「やさしい人がこんなにたくさんいるんだね、とスタッフとよく話していました。たぶんみなさん被災した方のために『何かしたい』という思いは持っていたんでしょうね。そこにたまたま私たちが声をかけることができたから、これだけの支援に繋がったんだと思います」
スタッフの理解と協力
写真
靴を送るまでには、さまざまな作業があります。まず、ひとつひとつ靴の状態を見て、仕分けをします。状態のいいものは中のゴミや砂を取り除き、除菌をして、一足ごとにビニール袋に入れ、同じサイズごとに段ボール箱に詰めます。汚れのひどい物は、水と洗剤で洗います。
「洗う作業で手先がボロボロになってしまいました。でも、たとえ新品でなくても“足を入れたくなる靴”でなければ送ることができませんよね」と、佐々木さん。
作業を終えた靴を送る時には、知人にアドバイスをもらい、被災地の負担にならないように工夫をしました。
試し履きをしやすいよう靴を入れるビニール袋には必ずサイズを記入し、出し入れが楽なように袋の口は閉じませんでした。また、他の救援物資と混ざらないように、宛名は小学校名ではなく先生の名前を書いて送り、すぐに開けてもらえるようにしました。
新品の靴を送る時は、被災地でゴミが増えないよう箱から出し、はさみがない可能性もあるので値札は取る、というのはスタッフから出た意見でした。
このようなちょっとした心遣いが、靴を受け取った方に喜ばれたということです。
佐々木さんが、スニーカーの支援活動を行う時に一番気がかりだったのは、お店のスタッフのことだったと言います。
学校や会社が始まる年度初めの4月は、靴の修理屋さんにとっても依頼が増える忙しい時期ですが、3月末から呼びかけていた靴がたくさん集まり、被災地へ送るための作業も急ピッチで進めなければなりませんでした。 写真
「この支援活動は“やりたい”と私一人で先走って始めてしまったんです。通常の業務もあるのに、みんなには相当迷惑をかけたと思います。」
けれどスタッフの皆さんは、佐々木さんの思いを応援するように、通常の修理の仕事をこなした後に夜遅くまでスニーカーの洗浄作業や梱包を手伝ってくれました。

このお店に勤めて5年になる竹宮淳平さんは、 写真
「自分たちも地震があった日は家に帰ることができませんでした。大きな地震でかなりびっくりしましたが、その後テレビなどで被災地の映像を見たら、もっと悲惨な状況でした。
頭で考えるよりもよりも体が動いたという感じだったので、忙しいからどうのこうのとは思いませんでした。僕は普段も仕事が遅いので、忙しいのは変わらないかな(笑)」と話します。
頼もしいスタッフに囲まれて、佐々木さんは改めてそのありがたさを感じたそうです。
子どもたちに届いたスニーカー
4月11日に第一便として300足あまりのスニーカーが、石巻市立湊第二小学校に送られました。途中、沿岸部への配送が困難なため荷物が戻ってきてしまうというトラブルもありましたが、別の配送会社から送り直して、無事に子供たちの手に渡りました。
スニーカーを届けた石巻市湊第二小学校の安倍(あんばい)浩教諭からは、喜びのメッセージが届きました。 写真
『今回沢山の靴を送って頂き、本当にありがとうございます。
湊地区は、津波で全壊した地区で、着の身着のままで逃げてきた人達ばかりです。子供達は学校にいたのですが、下校した子供3名が残念ながら命を落としてしまいました。
しかし、下ばかりを向いてはいられません。先日、始業式がありました。登校した子供たちは、明るく友だちとの再会をとても喜んでいました。足元には、頂いた靴を履いてご機嫌でした。
まだ、校庭で遊びまわれるほど瓦礫の撤去が進んでいないため、暫らくは室内での学校生活になりますが、皆様の温かいご支援を胸に頑張っていきたいと思います。』
湊第二小学校を手始めに、石巻市内の湊小学校、中里小学校、荻浜小学校、住吉小学校などの子どもたちにもスニーカーが届けられました。
送り先の小学校の先生や、避難所で生活をしている方から電話や手紙が届き、スニーカーだけでなく長靴がとても重宝されていることや、大人用の黒い靴が欲しいといったニーズもわかりました。
人のつながりが大きな支援に
靴の募集は5月末で締め切り、現在は、店に保管されている残りの靴を送る準備を進めています。
商店主である佐々木さんは、被災地の商店の再建や経済の復興を考え、活動のやめ時についても検討しています。
「被災地で靴屋さんとして生計を立てている方がいるとしたら、今度は私たちが靴を送ることによって、ご迷惑になってしまうのかもしれません。 写真
ですから、今私たちが送る靴は、セカンドシューズとして履き捨てにして、次のステップに、地元の靴屋さんで新しい靴を買って欲しいですね。」

佐々木さんは今回の活動を振り返って、
「靴を欲しいという人がいて、靴を送りたいという人がいて、たまたまうちの店でできる作業とも合っていたので支援の窓口になることができた、という感じですね。
靴を集めてみて、みなさんの下駄箱の中に眠っている靴がこんなにあったとは驚きでした。よろこんで履いてくれる人がいて、靴のためにもよかったのかもしれませんね。
何より、この活動を通して人のつながりを感じることができて、私自身勉強になりました」と言います。
東京の小さなお店が「自分たちのできることを」と始めた活動が、大きな支援の輪となって宮城県石巻市に届きました。単なる物の支援ではなく、そこに込められた思いが、被災した方々の一歩を踏み出す力になることを願っています。
写真